活動日誌-服部こうき

【16.11.27】「トンネルを抜けるとそこは冬景色だった」-昨日は後援会のバス旅行で満蒙開拓平和記念館へ

2日ほど前の積雪が残り、この地域でも11月としては珍しいことだという話を満蒙開拓平和記念館の方から伺った

川端康成の小説のような話が昨日起きた。
後援会恒例のバス旅行で長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館と馬篭宿へバス二台で出かけた。
気温は低かったが朝から風もなく秋晴れの好天に恵まれ、絶好の旅行日和となった。

紅葉した山々や雪で白くなったアルプスの山々を楽しみながら中央高速を走り、恵那山トンネルを抜けた。
そこで目にしたのは、一面の銀世界。
道路脇の気温表示は-1°。

まさに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」だ。
2日ほど前の積雪が残り、この地域でも11月としては珍しいことだという話を満蒙開拓平和記念館の方から伺った。

長野県は全国でも一番多く満蒙開拓移民を送り出した県とされ、さらにその中でも満蒙開拓平和記念館のある飯田・下伊那地方が最も多く送り出しています

満蒙開拓平和記念館だが、少し長くなるが記念館の資料で説明をする。
『中国東北地方にかつて13年間だけ存在した幻の国「満州国」。
ここに日本から約27万人の農業移民が渡って行きました(このうち8万人が亡くなられた-注服部)。
「満蒙開拓団」です。
“満州は日本の生命線”-夢を抱いて渡った新天地でしたが、1945年8月9日、突然のソ連侵攻で満州は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。
終戦後も祖国に帰ることができず、難民収容所では飢えと寒さで大勢亡くなりました。
日中双方に多くの犠牲を出した「満蒙開拓」とはいったいなんだったのか。
私たちはこの歴史を風化させることなく後世に伝えるため、その拠点として記念館をつくりました(民間の施設-注服部)。
戦争に導かれていく道筋を学び、人々の体験に耳を傾け、平和な社会とは何かを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

長野県は全国でも一番多く満蒙開拓移民を送り出した県とされ、さらにその中でも満蒙開拓平和記念館のある飯田・下伊那地方が最も多く送り出しています。』

この満蒙開拓というのが戦争の被害と加害の両方を知ることができ、また戦争では軍隊は国民を守らないことを示した戦争の歴史がよく理解できた

この平和記念館は、先日天皇が訪れたことで大きな話題となった。
館内では、満蒙開拓平団についての解説を20分ほどビデオを見て、その後、語り部の人の話を聞きながら館内を回った。

印象的だったのは、この満蒙開拓というのが戦争の被害と加害(関東軍が満州に住む人達から強制的に農地を取り上げてつくったのが満州国だった-日本は加害者)の両方を知ることができ、また戦争では軍隊は国民を守らないこと(関東軍は戦況が悪化すると、開拓団を置き去りにして自分達だけ先に逃げた)を示した戦争の歴史がよく理解できた。

天皇がなぜ、ここを訪問したのかがよくわかった。
安倍首相も原発やリニアを売り込みに大企業の幹部と世界を飛び回る時間があったらぜひここを訪問して戦争の悲惨な歴史を勉強すべきだ。

バス旅行は、その後馬篭宿を訪れたがここは秋晴れの暖かい日に戻っていた。
各自散策をしたが、江戸時代の宿場としては住みながら残している関宿の方がはるかに値打ちがある。
疲れたが楽しく有意義な旅行だった。

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