活動日誌−服部こうき
【22.01.11】元党亀山市議の小川久子さんが亡くなられた
小川久子さんは「一人議員」ではダメだという強い信念で、あえて自らの議席を危険にさらしてまで私に働きかけてくれた。
いつかその日は来ると覚悟していても、いざその日が来てしまうと落ち込んでしまう。
一昨日夜、元党亀山市議の小川久子さんが亡くなられた。
77歳という「若さ」だ。
筋肉の難病だった。
私が議員になるために、強力な後押しをしてくれたのが小川久子さん。
当時党は1議席しかなく、しかも小川久子さんが4年前に得た得票は700票で、1人900票(2人で1,800票)は必要だと言われていた中での複数議席への挑戦だった。
私の立候補が市民に伝わると、「共産党はまた、共倒れになる」といわれたものだ。
以前、複数議席に挑戦し、共倒れになったことがあったからだ。
小川久子さんは「一人議員」ではダメだという強い信念で、あえて自らの議席を危険にさらしてまで私に働きかけてくれた。
こうした動きに党内外から何とか当選させようという声が上がり、結果は2人で2,000票近い票を獲得できた。
小川久子さんは2期目(2期目は減らすというジンクスがある)でありながら140票も増やした。
小川久子さんは私を議会へ送り出してくれた恩人以外の何者でもない。
謹んでご冥福をお祈りします。