活動日誌−服部こうき

【21.10.06】教育委員会が副読本を作成 「亀山の列車銃撃」も掲載

この「亀山の列車銃撃」については、亀山市歴史的風致維持向上計画(第2期)に党議員団の意見を受けて次のような書き込みがされた

亀山市教育委員会が「亀山市にまつわる人・もの・こと」副読本を作成した。
この副読本は、生活科や総合的な学習、社会科などの授業において、1人1台端末等でも活用できるよう、データとしても提供するというものだ。
その中に「亀山の空襲」として「亀山の列車銃撃」も掲載されている。

太平洋戦争と戦争遺跡については、亀山市歴史的風致維持向上計画(第2期)に党議員団の意見を受けて次のような書き込みがされた。

『昭和 16 年(1941)から昭和 20 年(1945)に日本は、アメ リカ・イギリスなどと太平洋戦争を行っていた。
この戦争のために機銃や弾を作る鈴鹿海軍工廠が鈴鹿市につくられたが、昭和 18 年(1943)になるとアメリ カ軍から工場が爆撃を受ける恐れがでてきたため、工場をいくつかに分けて爆撃をさけることにした。

市民団体が市との協働事業に取り組んだことも反映している

この時作られたのが、関町新所の観音山付近に作られた地下工場である。
麓付近に地下壕を掘り、その中で銃や弾をつくることになった。
昭和 20 年(1945)4 月から一部で銃や弾をつくりはじめたが、工場全体が完成する前に日本は降伏した。

トンネルは全部で 14 本残っており、工場の近くには他にも工場の施設の跡が現在も残っている。
この他の市内の戦争遺跡では、陸軍北伊勢飛行場跡 (川崎町・能褒野町)、辺法寺の地下工場跡などがある。』と記述(21年5月21日のブログより)。

また市民団体が市との協働事業に取り組んだことも反映している。
『三重県亀山市の市民活動団体「戦争遺跡に平和を学ぶ亀山の会」はこのほど、亀山市と取り組んだ、平成31年度市民参画協働事業の成果として、「亀山市の戦争遺跡マップ」を5千部作成した。』(20年6月13日のブログ)
さらに、亀山九条の会が進めてきた列車銃撃を記録する活動も反映している。

教育を通じて子どもたちに伝えて欲しい。
(注)詳しくは教育委員会のHPを。

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