活動日誌−服部こうき

【21.08.31】『在宅死続出「無力感しかない」 コロナ最前線、声上げる保健師たち』

平常時から多忙を極めているが、そこにコロナが襲った。

保健師の人たちはこんな思いで仕事をしていたのかと心に刺さった。
大阪府関係職員労働組合(府職労)は7月、保健師の声などをまとめた本「コロナ対応最前線 仕方ないからあきらめないへ」(日本機関紙出版センター、1100円)を出した。

以下は8月30日の毎日新聞。
『2020年から新型コロナウイルス感染症に対応する最前線の一つが「保健所」だ。
この間、大阪府内の保健所で働く保健師たちはどんな思いで対応してきたのか。【矢追健介】

 保健所の業務内容は、赤ちゃんの健診や予防接種に加え、O157やHIV、結核といった感染症対策、難病支援、精神保健など幅広い。
平常時から多忙を極めているが、そこにコロナが襲った。

保健師の声などをまとめた本「コロナ対応最前線 仕方ないからあきらめないへ」(日本機関紙出版センター、1100円)を出した。

 府関係職員労働組合(府職労)は7月、保健師の声などをまとめた本「コロナ対応最前線 仕方ないからあきらめないへ」(日本機関紙出版センター、1100円)を出した。
コロナ対策にあたった40代保健師の記事によると、朝5時半に起床し7時過ぎに家を出て、9時に勤務開始。
終わるのは午前1時、家に着くのは2時だった。
疫学調査や入院・宿泊療養・自宅療養の調整。療養者の健康観察をし、症状が悪化したら入院を調整する。
クラスターを防ぐため、医療機関や福祉施設などへの感染症対策の支援もしたという。

 感染が拡大するにつれ、コロナのために生活や通学ができなくなったり、必要な介護や医療などが受けられなくなったりした人が増えた。
「コロナ以外の業務も増大。本庁は現場が必要としないシステムを投入して混乱を招き、業務はさらに膨大化。
若手保健師が精神や体調不良を次々訴えた」

2000年には61カ所あった府内の保健所は現在18カ所 大阪維新が進めた政治の結果だ。

 他の人たちの体験記も並ぶ。
鳴り続ける電話に食事するのも難しい職員は多く、始発で帰る人、翌日の出勤時間まで残って仕事する人もいたようだ。

 府職労の小松康則執行委員長は、オイルショック以降の地方財政危機による「行政改革路線」で、保健所の予算削減や再編が進められたと説明する。
2000年には61カ所あった府内の保健所は現在18カ所だ。
府内のある保健所長は「保健所には、結核対策ができたらいいという程度の体制しかなかった」と話した。
 「このままでは救える命も救えなくなる」といった声が続々と届き、府職労は20年8月、保健所の人員を増やすキャンペーンを始めた。
「職員を増やさず残業減らせと言われると、必要な仕事まで削らざるをえない」といった生の声をツイッターで紹介した。
21年1月半ばに6万人を超えたオンライン署名を府に提出。
「公務員は少ない方がいいという風潮の中、『府民の理解が得られない』などと断られてきたが、いま声を上げないと救える命も救えない」と増員を訴えた。
 府は3月、人員計画を公表。
危機管理室や健康医療部の定員を増やし、各保健所に保健師を1人ずつ増員した。

府内保健所のある保健師は「人々に幸せな生活を送ってもらう使命のため、保健所で働いていた。なのに入院させられず、命を切ることに加担した。あれはトリアージだったし、医療は崩壊していた。無力感しかなく、自分が嫌だった」と振り返る。

しかし、直後の第4波では保健所はさらに逼迫(ひっぱく)し、自宅で亡くなる人が続出。
府内保健所のある保健師は「人々に幸せな生活を送ってもらう使命のため、保健所で働いていた。なのに入院させられず、命を切ることに加担した。あれはトリアージだったし、医療は崩壊していた。無力感しかなく、自分が嫌だった」と振り返る。

 現在、府内では新規感染者が2000人を超える日が続いている。
府人事課によると、9月から府管轄の保健所9カ所に3人ずつ応援職員を配置。
電話の受け付けやデータ入力など、保健師の仕事を支援する。

小松執行委員長は「春以降、何度もお願いしていたことが実現した。保健所は逼迫しており、府民の命を守るためにさらなる増員を検討してほしい」と現場の声を代弁した。』

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