活動日誌−服部こうき

【19.05.04】キトラ古墳の発見、壁画修復、管理、保存の凄さを学ぶ

キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳

昨日の明日香散策で最も印象に残ったのが、キトラ古墳だ。
以下は国営飛鳥歴史公園のHPより。
『キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。
(中略)名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦(キタウラ)」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」(キトラ)と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります。

1983年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。
2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。
石室の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)や十二支の美しい絵が描かれています。
国営飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置しています。

高松塚古墳壁画発見の直後、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」と知らされ、これがキトラ古墳の発掘調査に繋がる糸口となりました

7世紀末〜8世紀初め頃に造られたと推測されています。
古墳時代と呼ばれる時代の終わり頃です。
この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなりました。

高松塚古墳壁画発見の直後、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」と知らされ、これがキトラ古墳の発掘調査に繋がる糸口となりました。
1983(昭和58)年にファイバースコープによる探査が行われ、石槨の奥壁に玄武と思われる壁画を発見。
15年後の1998(平成10)年、上下左右に向きを変えるCCDカメラで探査し、青龍、白虎、天文図を発見しました。
そして2001(平成13)年の調査ではデジタルカメラを用いて、南壁の朱雀を確認し、獣頭人身十二支像の存在も確認しました。

取り外した壁画は細心の注意をはらって修理、強化処理をおこない保存管理しています

文化庁が2003(平成15)年より石室内調査を開始。
その結果、壁画は、そのままにしておいてはやがて崩れてしまう極端なもろさであることがわかったため、この壁画を守るため、2004(平成16)年8月より、日本で初めての本格的な取り外しをおこないました。

取り外した壁画は細心の注意をはらって修理、強化処理をおこない保存管理しています。
古墳そのものは石室と同じ石材でふさぎ、埋め戻しました。
壁画および古墳の研究・保存・公開などは奈良文化財研究所が主となって進めています。
「キトラ古墳壁画体験館四神の館」1階の「キトラ古墳壁画保存管理施設」では、期間限定・事前登録制で壁画実物を公開します。』

私の「強い印象」がどの程度、伝わったかわからないが、興味のある方はぜひ一度足を運んでみて。

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